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満足は不幸で不足は幸福?|6月8日(木)

家の蛇口をどちらにひねれば水が止められるのかやっと覚えられた。この生活にも少し慣れてきたということか。

今日は雨のせいでWi-Fiの接続が悪い。インターネットがスイスイ進まないことにもどかしさを感じてしまう。

そして夜は冷える。シャワーの温度は安定しないし、温かくなったと思ったら水圧は弱まるし、それももどかしい。スーパーで買ったパンテーンのコンディショナー、信頼していたのに香りが日本と違う。ココナッツのような甘い匂いがする。

日本食が食べたくて、フィジーで買いそろえられるもので作ってみても、いつもの味にはたどり着かない。

しかも日中買い物にいけなかったせいで、今日はジャガイモとタマネギと柔らかいキュウリしかなくて、昨日使った油だけは残っていたので全部揚げ物にした。塩で味付けして食べる。さすがに罪悪感が募る。

明日はスーパーで買い物をしたい。フレッシュな果物とか野菜を食べたい。

だめだ。

物質的豊かさが必ずしも幸福とイコールにはならないよね、とよく言いながら、結局私は何かが不足していることへの不安を捨てきれない。

フィジーの家庭を見てみると、物質的に豊かであるとは言えない。しかし主観的幸福度で1位になった国である。

一方で、日本の人がこの国に住めば心の底から私は幸せであると、全員が言えるようになるのかと言ったら私はそうは思わない。

フィジー人との間にある違いは何なのだろうか。

壁も薄い、ドアも窓もない、風通し抜群でヤシの木の側にあるような家で暮らす家族をこの前訪問したら、とても心優しく迎え入れられた。

私にご飯のご馳走もしてくれ、おまけにもっと食べなよ(「カナカナ」)と言ってきてくれる。そして笑いが絶えない。

もはや人間そのものの、内側の豊かさみたいなところを私に見せつけてくるかのようだ。

モノに囲まれた暮らしを知らないから、その暮らしができるという可能性を知らないから、不足しているという感覚がないから、幸せだと言えるのか?

一方で、選択肢が増えてモノに囲まれた暮らしが、本当に私たちを幸せにしているのか?

「ない」ものではなく「ある」ものに目を向けて価値を見いだせるように生きていられるようになりたい。

というか目を向けよう。

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